電子書籍の話に似ているのですが、英語の勉強をしていて、紙の辞書に戻しました。
それまで電子辞書をずっと使っていました。
なかなか上達しない自分の英語の学習について、こころを入れ替えて、しっかりやろうと決めたときに紙の辞書にかえました。
ノートを作ることがとても無駄で面倒に感じたので、辞書をノートにしてやろうと決めたのです。
使ってみると、その使用感、メリットは、限りないです。
あのビリギャルを指導した塾の先生(参考学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話[文庫特別版] (角川文庫)
)は、かならず紙の辞書で調べさせるというのをテレビでみました。
その理由は、スペルを覚えられるから、というものです。
確かに、電子辞書では、すぐに候補が出てきてしまい、ふわっとした感じで単語にふれています。マーカーをいれたり、記憶の足跡をつけることともありません。
私もあやかって、紙の辞書で単語をしらべるときは、単語を記憶する手段として、スペルをしっかり頭に刻み込んで、ぐいっと辞書を引きます。その気合で、若くはない頭脳に刺激を与えています。
とにかく辞書は、読めば読むほど、すばらしいです。(電子辞書にくらべ、読むということにも集中できます。)
文法の基本から応用まで、文法書を買わずとも、しっかり記載されています。
うろ覚えの知識の再確認に、とても役に立ちます。(もちろん、文法書はわかりやすく整頓されているので学習するには便利です。)
出会った単語や例文にマーカーすることで、忘れていてもう一度引いている単語については、インパクトがあります。
前も調べたのに忘れている、今度こそは覚えるぞという気合も出ます。
暇なときは、パラパラと、マーカーのところだけをながめるのもいいでしょう。
だんだん、よれていく、紙の質感が、自分の努力の集積に見えます。
ついには、カバーがはがれ、本体がカバーから崩れおちそうになってくる。その古くなった紙の辞書の魅力はもう、筆舌に尽くし難いのです。
ボンドで、本体にくっつけなおして修理、なんて、やぼなことはしません。そのまま、大事に、そっと包み込むようにして辞書をまた引くのです。
もちろん、実力を上げるほうに意識は向けるべきで、辞書に酔っている場合ではありません。
結局、電子書籍の話と似てますが、データはどこかすり抜けていく感じがしてしまうのです、紙から得た知識は、なぜか覚えやすい。その全体の印象、場所なんかの付帯した情報が少しついてくるからでしょうか。
高校生の時に、京大出身の化学の先生が、広辞苑は、読み物です。と言われていたことを思い出します。先生は若いとき、辞書を愛読書にしていたと言います。
今になってようやくわかります。国語の辞書も、英語の辞書も、読書する価値があるということが。
だから、本と同じく紙が馴染むのだと思います。
もちろん外出用は電子辞書です。電子書籍と同じ理由です。
発音の音声確認にも電子辞書は便利です。
それぞれ役割があるということですね。