たかがヨガを教える仕事でも、感じ入ってしまうことがあるのです。
うちに来ているある女の子、まだ未成年。体験レッスンの申し込みから入会までお母様が熱心に来られて、今レッスンに通っています。
あまり詳しいことは個人のプライバシーに触れるとよくないので書けなくて残念です。
なにかと一生懸命なお母様、それはいつも子供を思う心にあふれていて、一つ一つが低姿勢で、気を使っていて、私にいつもお礼のメールをくださる。
お母様からのお礼のメールの言葉の陰には、娘の元気な様子に安堵しながらも、心を砕いている切なさが伝わってしまう。
子供を育てる親というのは、本当に献身的で、心をわしづかみにされる時があります。
自分のおしゃれに気を使うこともなく、振り乱して子供を支える親というのは、なんでこんなに美しいのだろうと、思うのです。
こんなことを言うと、女性蔑視だといわれてしまうのでしょうか、でも、私はこういう昭和的なお母さんを尊敬してやまないのです。
親になればわかる、これも、今は誤解や偏見を生む言葉となるのかもしれないですが、この気持ちは、親になってこそなのだと思います。
若いときの私なら、親がいちいち口を出して過保護なんじゃないかと、思うのかもしれないです。
でも子供が学校や社会にさらされるとき、自分が盾になってやりたいと本能的に思う感情は、親の愛に他ならないのです。
親思う 心に勝る 親心
けふのおとづれ なにと聞くらむ
吉田松陰の親も、私にお礼のメールを書くお母様も、おなじ愛情で子供を育てているのだと思います。