私はYouTube をよくみます。
もともとは、「バイリンガルガール」がきっかけでした。英語の勉強の息抜きに英語のYouTube を見ていました。今やこの英語系yutubeはクオリティーが高く、お気に入りのYouTuberが増えました。
これが今お気に入りの英語系YouTuberです。
そこから、いもづる式に表示されるサムネイルをクリックするうちに、いわゆる「ヒカキン」のような動画に出会いました。
英語系や音楽テクニック系、学習指導系、歌ってみた踊ってみた系、政治解説系のYouTuberは、目的がはっきりしていて、需要と供給のような関係がわかりやすいですが、なんでもやってみる系(私個人の分類です)の動画、つまり、ゲームの実況をしたり、変な食べ物を作ってみたりの動画は、「いったい誰がみるのだろう?」という疑問だらけでした。
自宅を使って、ありとあらゆることを試す様子を、つたないカメラアングルと、脈絡のない構成でまとめ、オチもなくおわるような動画は本当に衝撃的でした。
プライバシーは心配ではないのだろうか、恥ずかしくないのだろうか、あまりのジェネレーションギャップに、理解しがたく、、、、、そして、ちょこちょこ、みるようになりました。(好奇心とは恐ろしいものです。)
そのyoutube で先日ちょっとしたことがあり、コメント炎上を目の当たりにしました。
ある海外在住の日本人ユーチューバーが、ちょっとした人気者なのですが、彼らはいろいろな面白いことを動画にアップし続けていました。
海外在住なので現地で英語で話す姿や、英語を使った動画もありました。
数は少ないですが「英会話を教える」ような、企画もありました。
ところがその英語には、中学生でもわかるであろう間違いがいくつかありました。ついには日本在住の英語堪能なハーフのユーチューバーによって、ダメ出しされるような動画があげられたのです。
そうなると互いのユーチューバーを擁護するコメントで炎上、再生回数は急上昇、それはそれでオイシイと、便乗動画も参戦。
結局、「英語を教える」動画が自ら削除され、謝罪動画もコミカルにアップされ、終止符がうたれました。
ちょっと間違った英語だけど、充分楽しくやっていっている姿に魅力を感じていたので残念な感じに思えました。
かといってダメ出しをした動画の内容には同意できます。
「教える」というのには、その動画の内容は合っていないのです。(YouTubeを見ていて多くの人間が気が付いていたようですが、そのノリノリの雰囲気に価値を感じていたため、あえてコメントつけたりしなかったのだと思います。・・・たいてい子供たちが見ているので・・・)
ダメ出し動画を出すのは難しいことです。人気者のYouTuberのファンから何を言われるか、考えただけで恐ろしい。
「王さまの耳はロバの耳」と言ってしまったか!はきっと見ていた子供たちにインパクト与えたことでしょう。
皆が絶賛している最中に、「それは違うかもしれないよ」といえる人を目の当たりにしたのですから。たかがYouTubeですが、表現の自由が、民主主義がそこにある。
謝罪したあと、海外在住の彼らの動画からは、英語のテイストが消えてしまいました。「王さまの…」一撃は、「蜂の一刺し」になってしまったのでしょう。
矛盾した思いはありますが、これしきのことで英語動画を封印せず、「英語、いい加減だけど、アメリカはこんなノリでもやっていける」っていう動画を続けてほしかったなあって、思ったりしています。
人間的な不完全さがものすごくよかったりする事があります。それこそが、YouTubeの魅力だったりすると思うのです。
もちろん完璧なものには美しさ、迫力、感動があります。
でもフランス料理の他にお茶漬け食べたいときがあるように、下手な歌や音楽、絵画にもひかれます。
ちょっとした楽しみがひとつ減ってしまいました。