カズオ・イシグロの小説は、遠い異国、日本を知ろうとする目的でも世界で読まれていたようです。
イシグロ氏がそもそも処女作を書いた動機は、幼い頃の日本の記憶を保管したい気持ちからであったといいます。
その後「浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)」でウィットブリッド賞を受賞して、その地位を確立しました。
しかし、作家として日本にしばられたくないという気持ちから、日本を書くのをやめる決意をしたそうです。
そして、「日の名残り (ハヤカワepi文庫)」を書き上げたのだそうです。
「日の名残り」の構想は、「浮世の画家」の舞台をそのままイギリスにうつしただけのものでした。「浮世の画家」は画家が主人公で、「日の名残り」は執事が主人公です。
しかし、主人公がその時代との葛藤していく姿は同じテーマを扱っています。
イシグロ氏は、「日の名残り」の成功により、日本という枠のしばりから解放されるだけでなく、大きな発見があったといいいます。
物語の舞台は重要ではないということです。
大事なのはアイディアだといいます。
アイディアは抽象的ではあるけれども、そのあらすじを、2,3のセンテンスにまとめあげたときに、湧き上がる感情があるかどうか、あらすじ以上のものが熟しているかどうかということを大切にするようしているといいます。
そうなると、あとはどの舞台でも、ジャンルでもいいわけで、それがかえって、小説を書き始めるとき、舞台設定を困難にしてしまっていると明かします。
自由になりすぎて、選べないということです。
「わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)」
(原題 Never Let Me Go)では、はじめの舞台設定がうまく合わず、結局、3回変えたといいます。
結局このテーマはSFを舞台にすることが一番よく合うということになったらしいです。
小説の価値は、どの時代かどの場所か、過去なのか現在なのか、未来なのか、SFなのか、怪奇なのかも関係ないといいます。小説の価値は、そんな表面にあるものではない。
小説の価値は、もっと深いところにある。
だから、どの舞台でもいいのだけれども、その価値が、生き生きとする場所を探す必要があるといいます。
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